ハンドドライヤーはレストラン、ホテル、オフィスビル、医療施設、教育機関、商業施設、駅、空港など様々な場所で利用されている手指乾燥機です。
ランニングコストの安さや環境負荷の少なさを前面に押し出して、それまで主流だったペーパータオルのシェアを徐々に奪っています。
総称はハンドドライヤーですが、メーカー毎に独自の名称をつけている為、それぞれの商品名の方が馴染み深い人もいるかもしれません。
よく知られているのはジェットタオル(三菱電機株式会社)、エアータオル®(東京エレクトロン株式会社)、クリーンドライ(TOTO株式会社)、パワードライ(パナソニック株式会社)、Airblade™(ダイソン株式会社)あたりですね。
不衛生というレッテルを貼られてしまったハンドドライヤー
急速に普及してきたハンドドライヤーですが、ここ数年『不衛生』という理由で使わない人が増えているようです。
人々に影響を与えたのは、複数の研究結果とそれらを紹介したメディアです。
それらの研究の中で最も有名なものはウエストミンスター大学のPatrick KimmittとKeith Redwayによる”Evaluation of the potential for virus dispersal during hand drying: a comparison of three methods”といわれています。
手に意図的に大量のウイルスを付着させた後、ペーパータオル、一般的なハンドドライヤー、Dyson Airblade(Dysonが製造しているハンドドライヤー)の3種類でそれぞれ乾燥させた時に周囲に対してどれくらいの悪影響を与えるのかを調査したのがこの研究です。
汚染された状態の手を乾燥させるわけですから当然付着したウイルスは風によって周囲に広がります。結果、風の強い順にDyson Airblade>一般的なハンドドライヤー>ペーパータオルと周囲にウイルスを広げる事となりました。
具体的な数字ですが、Dyson Airbladeは一般的なハンドドライヤーの60倍、ペーパータオルの1300倍のウイルスを空気中に放出したという事です。
1300倍という数字だけをみると異常に高いように感じますが、ペーパータオル使用時のウイルス放出量自体が0に近いくらい少ない点には注意が必要ですね。
Patrick Kimmittらはこの研究結果をもって、ハンドドライヤーは不衛生であり医療関係施設や食品関係施設など特に衛生面に注意が必要な場所で使用するのは適当ではないと結論付けています。
この研究を紹介したネットニュースなどを見て『ハンドドライヤー=不衛生』と考えるようになった人も多いのではないでしょうか。
ハンドドライヤー業界とペーパータオル業界の戦い
実はウエストミンスター大学(Keith Redwayら)がハンドドライヤーに対して批判的な研究を発表したのは今回が初めてではなく2008年にも別の研究を発表しています。
この時は乾燥の不十分さ、細菌増加数の比較、細菌の周囲への分散、ハンドドライヤーの汚染状況などについての調査を行っています。
これらの研究結果はウエストミンスター大学が後援を受けているeuropean tissue symposium(ETS:ヨーロッパのティッシュペーパー生産者の大半が加入している業界団体)のホームページのトップに載せられています。
長きにわたって、ハンドドライヤー業界はペーパータオルのランニングコストや環境負荷などを批判し、ペーパータオル業界はハンドドライヤーの衛生面を批判する事によってシェアを奪い合ってきました。
このシェアの奪い合いがなくならない限り、これからもこのような研究は続いていく事でしょう。
ちなみに環境負荷についてはDysonから依頼を受けたマサチューセッツ工科大学(MIT)が2011年に”Life Cycle Assessment of Hand Drying Systems”を発表しています。
MITはライフサイクル分析によってペーパータオル、従来のハンドドライヤー、ハイスピードハンドドライヤー(Excel DryerやDysonの製品)の内、最も環境負荷が少ないのはハイスピードハンドドライヤーと結論付けています。
このようにそれぞれの業界が大学などに依頼して相手の欠点を調査させ自らの優位性を示そうとしているのです。
数あるハンドドライヤーメーカーの中でも特にDysonが批判されているのは商品の特性や企業の規模、欧州におけるシェアなどが大きいと思いますが、それに加えてDysonの他者に対して攻撃的(ペーパータオルはもちろんの事、同じハンドドライヤーに対しても)な企業方針を危険視されているのかもしれません。
わたしもDysonの商品は性能面やデザインは素晴らしいと思いますが、あの営業方法は少し苦手です。元来おとなしい日本人には刺激的すぎるのかもしれません。もう少しオブラートに包んだ表現をすればよいのにと思ってしまいます。